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時代に呼応するいつも新鮮な話芸をもち、そのテリトリーは日本の食文化ラーメンから捕鯨再開のための鯨の食文化を守る会。また日本医科大リウマチ科の吉野槇一教授と組み 「リウマチの痛み、落語の笑いで消えた 」で健康ブームの先がけとなり、いつも新鮮な明るい話題を提供している。画技の方は日本橋丸善において開催された(林家木久蔵錦絵展)など、一流デパートのギャラリー展も20ヶ所におよぶ。
プロフィール
本名 |
生年月日 |
出身地 |
豊田 洋 |
昭和12年10月19日 |
東京日本橋 家業は雑貨卸商 |
木久扇一門
真打ち |
二つ目 |
前座 |
1番弟子 林家きく姫 2番弟子 林家彦いち 3番弟子 林家久蔵 4番弟子 林家木久蔵 5番弟子 林家きく麿 6番弟子 林家ひろ木 7番弟子 林家希林 |
8番弟子 林家けい木 |
経歴
昭和31年 | 3月 |
4月 | |
昭和35年 | 8月 |
昭和36年 | 1月 |
昭和40年 | 9月 |
昭和44年 | 11月 |
昭和47年 | 4月 |
昭和48年 | 9月 |
昭和56年 | 12月 |
昭和57年 | 5月 |
昭和58年 | 3月 |
昭和61年 | 3月 |
平成元年 | 10月 |
平成 4年 | 3月 |
4月 | |
8月 | |
10月 | |
平成 6年 | 6月 |
平成 7年 | 3月 |
10月 | |
平成 9年 | 4月 |
7月 | |
平成10年 | 3月 |
平成12年 | 1月~ |
平成13年 | 12月 |
平成15年 | 5月 |
10月 | |
平成16年 | 8月 |
9月 | |
10月 | |
12月 29日 | |
平成17年 | 3月 |
4月~5月 | |
5月 30日 | |
6月 | |
12月 | |
平成18年 | 4月 |
7月 | |
12月16日公開 | |
平成19年 | 5月 |
5月下旬~9月末 | |
7月 | |
8月 22日 | |
9月~ | |
9月 19日 | |
9月 21日 | |
平成20年 | |
7月 | |
10月 | |
平成22年 | 4月 |
4月 27日~29日 | |
平成23年 | 5月 |
7月~ | |
平成24年 | 3月 |
5月 | |
7月 | |
9月 | |
11月 | |
平成26年 | 10月~平成27年2月 |
平成27年 | 4月 |
5月 | |
7月 25日 | |
8月 | |
平成28年 | 3月 |
6月2日~ | |
平成31年 | 3月~ |
令和元年 | 11月8日 |
令和2年 | 5月 |
8月15日 | |
9月 | |
令和4年 | 1月 |
令和4年 | 3月 |
東京都立中野工業高等学校 食品化学科卒業 |
森永乳業㈱新宿工場就職。同年8月に漫画家 清水崑氏門下へ入門。鎌倉にて書生として過ごす。 |
崑氏の紹介により、三代目 桂三木助門下へ入門。芸名 桂木久男で見習い。 |
桂三木助没後、林家正蔵門下へと移り、前座となり芸名 林家木久蔵となる。初高座は新宿末広亭、演題は「寿限無」。 |
二つ目昇進。 |
日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる。司会は前田武彦氏。 |
TBS朝のワイドショー「モーニングジャンボ(のち”奥さま八時半です”と改題」にレギュラー出演、以後10年間、レポーター等を努める。 |
林家木久蔵のまま真打ち昇進。 |
ラーメンについての本邦初の単行本「なるほど・サ・ラーメン」をかんき出版より出す。ラーメンブーム起こる。 |
東京新宿クッキングアカデミーにて「全国ラーメン党」結成、会長に就任。ラーメン店チェーン化始まる。 |
東京銀座、ギャラリー中島にて初個展「林家木久蔵美人画展」を開く。 |
東京新宿タカノギャラリーにおいて「私の下町五十景」と題して下町風景画の初個展を行う。画文集も出版(三修社)。 |
スペイン・バルセロナ市にラーメン党の店「カサ・デ・ボスケキク」オープン。 |
島根県美都町山中に”木久蔵アトリエ”完成。 |